第四錠 《居場所》

The fourth lock “place”

 

隣国ゴルドアに接した国境の都市アレサル。
のどかな山岳地帯を鳥たちが優雅に羽ばたいていく。
この地域は険しい山が連なり、多くの動物や魔獣たちの生息地としても名高い。
動物や低レベルの魔獣に関してはそう問題にはならないが、凶暴性が確認されている大型魔獣は別だ。
ここアレサルでは、定期的にその数を減らすことで、国境の安全を守っていた。

「めーんどくせえええええええ!」
デュクレオンは、付いた血を拭うように、剣を振り下ろす。
「仕方ありますまい、面倒ならば早く終わらせることです」
「ちまちまちまちま…」
ぶつぶつと文句を言うデュクレオンの傍らで、鎧をまとった初老の騎士が声を出して笑っていた。
「勢い余って魔獣どもを全熱させぬよう、そこはお願いいたしますぞ。レオン様」
「そこまで馬鹿じゃねえよ」

魔獣を残すのは防衛上の策なのだ。数を減らすまでで留めることは、対外、対内両方の安全を守ることになる。
「アレサル駐屯兵の仕事だろ、これ」
「そうですが、仕方ありますまい。これは殿下への罰なのですから」
弟君を守るためとはいえ、無謀な事をした罰ですよ。そういって騎士は再び声を上げて笑った。

明け方早々、デュクレオンは父王に呼ばれた。前日の騒ぎの事でだ。
謀(はかりごと)は宮中で珍しいものではない。もちろんそれは王にまで及ばない小さなものがほとんどだが、
一国の王子が殺されかけたとなると、それなりに大きな謀略を警戒する。
王子たちの機転でその状況は防げたものの、彼らの行動は無謀と言わざるを得ない。
案の定大目玉を食らった上、罰としてここアレサルでの“掃除”を言いつけられたのだった。

「早く帰りたい」
デュクレオンは項垂れた。

 

 

クリスタルクロウがデュクレオンを選んだ。
その事で、実は少しだけ彼らの周りは変わった。少しだけだが。

国を乱す『忌み子』が、鍵守りとして神の力を与えられた。
それだけで、少しの人間たちには、彼らの存在を否定から肯定に覆す十分な理由になったのだ。

また、王は妻を亡くしてから、この二人以外の子を作ることはなかった。
鍵守に選ばれたデュクレオンはいずれ国を出る事になる。
そうなれば、次の王座を継ぐのはたった一人、カルシオンのみ。
王の公言こそまだないが、次期王位継承者としてカルシオンも注目される様になり、
そこから今に至るまでの周りの変化は安易に想像もできるだろう。

ほんの数年前と違って、今は彼らにも居場所が出来ていた。

カルシオンは体が弱いこと以外、何でもこなした。
頭が良く知恵が働くし気は優しい、立ち振る舞いも大人びていて、デュクレオンほど感情的でもない。
『幼き賢者』『王の才覚』そう言って持て囃(はや)す者も今は多い。
その上、デュクレオンの“やんちゃな振る舞い”がまた、カルシオンを引き立てていた。
だからといってデュクレオンに何の才もなかったのかというとそうではない。

その体の特異性は置いておいても、剣技や戦闘において大変秀でた才能を発揮してる。
あわせて、その人間味あふれる感情豊かな性格に、彼を支持する人間もまた多くいたのだ。
特徴的なことから言えば、カルシオンは文官に、デュクレオンは武官にそれぞれ『ウケ』がいい。

デュクレオンは母がなくなる前に自分たちの事を『まるでイタズラ好きの嵐とそよ風ね』そう言って笑っていたのをよく覚えている。
みんなにもそう思ってもらえるといいわね、と。

「伏竜鳳雛(ふくりょうほうすう)、後の賢王か剣聖か」
老騎士がデュクレオンの後姿を満足そうに見つめて言った。
「は?」
「なに、イシエル国の言葉で将来が期待される若者の例えです。官の間で殿下方の事をそう申しておりましてなぁ。」
あながち間違いではないと私は思うのですよ。そう言って、目じりのしわをより深く刻み笑う。

「私が本格的に剣をお教えしてまだ3年程ですが、この年寄りがお教えできる事などもういくらもありますまい」
それだけあなたの進歩は目覚しい。かの剣聖は十で一個師団の騎士兵士に匹敵する力を持っていたといいます。
年こそ違いますが、あなたにもその才があるのではないかと、私も楽しみで仕方がない。

おそらく、デュクレオンが生まれる前からずっと、この老騎士は戦場に立ち続けてきたのだろう。
いくつもの戦いで名を挙げ、生き抜いて来たであろうこの老騎士は、白い顎鬚を撫ぜながら誇らしげに彼を見た。
デュクレオンは笑う。

結局、得体が知れてしまえば…ということなんだろうな。

ふれてしまえば、普通の人間とかわりない。
人間なんて臆病なものだ、得体がしれないからこそ怖い。
怖いから近づかない、ふれない。
デュクレオンは周りの変化にそう感じていた。

「なあ、その剣聖って何て名前だっけ?」
「剣聖フェアトレオン。100年以上前にクリスタロスの王に仕え活躍した騎士ですぞ」
次代の剣聖たるものもの、覚えておかないといけませんな。老騎士がわしわしとデュクレオンの頭を掻き撫でた。

臨時に組まれた討伐隊の兵士が、駆除し、その場に残った魔獣の遺骸を火に焼べている。
「そういえば、先ほどアレサル辺境伯に面白い話を聞きましたぞ」
「面白い話?」
「殿下は北の国境都市、エイディン辺境伯をご存知でいらっしゃるか?」
「名前は知ってる」
「最近、エイディンの住民に対して都市への貢納を義務から任意にし、原則国に収める税のみを徴収するとしたそうです」
地方の自治はその地域を統治する権限を与えられた辺境伯が治めている。
中央の意向を反映しながら、それぞれその土地にあった自治を行うことを任されているのだ。

「税に関してこのような判断は大胆すぎると、アレサル辺境伯が頭を抱えておられましたわ」
一地方が特権的に何かを優遇すれば、地方同士のバランスも失ってしまう恐れも大きい。
「まだ噂話で収まっているようですが、いやはやこれは、またひと悶着ありそうな匂いですよなぁ」
「今年は気候も安定しているし、エイディンで農作物が不作だという話も聞かないがな」
エイディン辺境伯がそれほど民思いという話も聞いたことがない。老騎士は少しばかり眉間にしわを寄せて笑った。

山肌を風が走っていく。その風がデュクレオンの髪を撫ぜて通り過ぎていった。
青葉の匂いと、焼けた肉の匂いが交差する。
これは、生きるために殺すということ。

何度か戦場は経験したが、やはりどこかチクリと痛む。
自分は綺麗だとは思ってはいない。もうこの手は十分汚れているから。
何かを守るためとは大義名分にすぎない。
デュクレオンは兵士達に細かく指示を出している老騎士を見た。

「命が命を絶つということを、消して忘れることのないように」
最初に彼に教わった事だった。
この老騎士は、そうやっていくつもの戦場を乗り越え、その度に手にかけた命の重さを背負ってきたんだろう。
潔(いさぎよく)く生きる。その言葉がふさわしいと思った。

兵士になり戦場に出始めると、大体二通りの人間が出来上がる。
命の重さを真撃に感じる者と命の重さを感じなくなる者だと。
後者の人間にとって、目の前の命が物と同じになる。まるでコップを割るのと変わらなくなるのだ。
デュクレオンはその感覚が分からないでもなかった。かつての話だが。

後者の人間は力を持つものが多い。
ならば、かの剣聖という人間はどうだったんだろう。
十で並々ならぬ力を持っていたというその人物はどちらを選択したのか。

「デュクレオン様、戻りますぞ」
老騎士が叫ぶ。兵士たちが順に翼を持った騎獣に跨り、空へ飛び立っていく。
「シャルロット!」
デュクレオンが名を呼ぶと、崖上から一匹の黒い大きな翼を持った騎獣が降りてくる。
「城へ帰ろう」
騎獣とともに舞い上がった。