第九錠 《交 替》

The ninth lock “change”

 

真っ暗な部屋の中で、二人で息を潜めて小さな体を寄せ合った。
お互い震えているのが分かる。
王城の奥、警備も厳しく、特別な人間しか入れない王族の居住区。
その双子の寝室に、知らない男が二人。
暗い部屋の中、隙間からこぼれ入る月明かりにきらりと刃物が揺れる。

しんにゅうしゃ。

逃げなくては…助けを呼ばなくては。そう思うも二人とも体が震えて声も出ない。
目に涙を浮かべながら、一層ガタガタと震える兄弟の肩をぎゅっと抱きしめて、
黙って精一杯男たちを睨みつける。
自分がしっかりしなきゃ、兄弟は怖がりだから。誰かが気づくまで守ってやらなきゃ。
そう言い聞かせながら、今にも泣き出しそうなのを抑えた。

「なあ兄貴、どっち殺してどっちお持ち帰りだよ?」
背の高い方の男が聞き障りの悪いざらついた声で不機嫌そうに言った。
「兄の方をやれ、デュクレオンの方だ。弟の方は取引材料で連れて帰れと、そういう指示だ」
兄貴と呼ばれた男は入って来たテラスの窓の側で周囲を警戒している。

「同じ顔してんだぜ?見分けつかねえよ…あーめんどくせえ!両方殺しちまおうぜ!」
弟の方、大柄の男が近づいてくる。
「それじゃ元も子もねえだろ!生かす方も少々痛めつけてもいい、早くしろ!」
そう言われて、大柄の男はちっと舌打つ音が響く。

「なあ、お前らさー。デュクレオンだっけ、兄貴の方どっちだよ? 手ぇ上げてみろや痛くしねーからさ…」
男が身を屈め、ナイフの平で自分の掌をヒタヒタと叩く。
抱きしめている兄弟の肩がピクリと大きく震える。
男が兄弟の腕をぐっと掴んだ。
ぐいっと乱暴に小さな体が持ち上げられ、足がぷらぷらと宙を蹴る。
「お前か? お前兄貴かな?」

たすけて…だれかたすけて…。

震える体を無理やり動かし、男の足元にしがみつく。
「ああうぜえ!兄貴、こっちでいいか?こっち殺すぞ?」
掴んている兄弟を高々と持ち上げ、もうひとりの男にそれを揺すって見せる。
「間違えた時はお前が責任取れよ」
投げやりに男が吐き捨てる。

ぼくのきょうだいをはなして…。

震える唇を噛んで、男の足にしがみついた手に力を入れた。
「なんだお前、おとなしくしてろよ!」
つま先で腹をえぐる様に蹴られる。
大柄の男が兄弟をベッドの上に押さえつけ、口を手で塞ぎ、ナイフを振り上げるのが見える。
「んー!んんん!!!!」

やめて…やめて…

「よし、お前がデュクレオンだ決めた!恨むなよーっと」
男がナイフを振り下ろそうとするのを見て、夢中で飛びかかった。
その腕に力いっぱい噛み付く。
「いてええええええええ!!」
男が叫ぶ。
「馬鹿野郎!大声出すんじゃねえ!」
窓際で見張っていた男が駆け寄ってくる。
その男に頭を掴まれて、天蓋の柱に打ち付けられた。
男は腰から短剣を取り出すと、こちらに突きつけてくる。
「大人しくしてろ。でなきゃお前を殺すぞ」

どう…して?

「依頼主が長子は邪魔なんだとさ。まぁ順調に行けば次の王様だからな」

どうし…て?

「どうしてって、そりゃ定石ってもんだが…まあ、大人の事情だ。
どうせ忌み子とか言われて、ロクな扱い受けてないんだろ?
今日逃れても、また何度も何度も──命を狙われたりする。かわいそうなものだ。
それならせめて、今日、俺たちの役に立ってくれよ」
やれ。男が合図をして、兄弟を押さえている方の男が再びナイフを振り上げた。

やめて!!!!!!

突きつけられた短剣を握る男の手を、思い切り噛み切った。
勢いで体が床に放り出され、頭を強く打つ。
くらりと目眩がするのを、必死に振り払って体を起こそうとした時、自分の肩に短剣が突き刺さった。

「威勢がいいな王子様。おイタはいけねえぜ。」
男は噛み切られて血の流れる右手を押さえ、痛みに顔を歪めながら立ち上がる。

…つめたい

ごほっと咳き込むと、赤い血が流れた。
冷たさの向こう側から、どくどくと体が脈打つのを感じる。
不思議と痛みはなくて、ただ冷たいものが触れている感覚と、気だるさが押し寄せていた。
「こっちのがデュクレオンで、そっちのがカルシオン。たぶんあってる…もうそれでいい。
始末してずらかるぞ!」

うん。それでいいや……もうひとりがいきてるんなら。
なんかいも…なんかいも、こわいのはいやだ。
どっちかひとりになったら、おとなはまもってくれるのかな?
それだったら…ぼくはしんでもいい。
だってぼくのきょうだいは、ほんとに…こわがりだからさ…。

「ちがう!ちがううう!!ぼくがレオンだ!!」
泣きながら兄弟が叫んだ。
「はぁ?!おいこらっ!暴れんな!」

だめだ…。だめだよレオン…。

「しなないでシオン!だれかたすけて!」
兄弟が手を伸ばす。ぼくに──。

「兄貴これ…」
大柄の男の方が困惑している。
「ちっ逆か…おい、坊主死ぬなよ」
男が肩に刺さった剣を引き抜いた。血が吹き出す。
怪我をした右手をかばいながら、短剣を口にくわえて、僕の体を持ち上げた。
「兄貴やるぜ」
「早くしろ、今ので城の奴らに気づかれたかもしれん」

レオン!
レオン!

押さえつけたれた兄弟の喉元にナイフが迫る。

だめだああああああああああ!!!!!!

胸の奥で何かが弾けた。体を満たすように、熱いものが瞬間に駆け巡った。
抱えている男の腕を弾き、伸ばした手を男の目に突き立てた。
叫び声と共に、男は加えていた短剣を落とし、すかさずそれを拾う。

「兄貴!」

ゆっくりと奪った短剣を前に突き出す。自然と体が動き出した。
体が軽い。床を蹴って、大柄の男に飛びかかる。
体が動くままに短剣を振り回した。
その度に男の身体が刻まれて、生暖かい血が体にまとわりつく。
深く深くできるだけ深く。剣を突き刺した。
男がよろけ膝を折り、兄弟の体が解放され大声で悲鳴を上げた。

声に気づいた衛兵が駆けつけて来て、その光景に息を飲んだ。
床に広がった血だまりとそこに横たわる二人の男の姿。
血まみれで短剣を握り締めたこの姿が、異様で異質でまるで化物のようだと。
後から駆けつけてきた世話係が、顔を青くして僕たちの手を取った。
「おいたわしや…さぞ怖かったことでしょう。カルシオン様…」

……ちがう。

「カルシオン…様?」
世話係が困惑しながら、双子を見比べた。
どちらがどちらかなんて、分かりもしないくせに。
まだ、胸の奥が熱く燃えている。刺されたはずの肩の傷ももう血さえ出ていない。
沸き立つ力に少し高揚しているようだった。
荒い呼吸を整えるように、肩をゆっくりと上下させる。
向こうでレオンが泣きながら声にならない声で叫び、首をずっと横に振っている。
「だめだよ」と。

ごめん。ぼくはきめた。
おとながまもってくれないなら、きずつけるというなら──

ぼくがぼくらをまもる。

おまえはよわむしだから、ぼくがおにいちゃんになるよ。

そう目で合図すると、一層声を上げて泣いた。
困惑している世話係に、血の付いた短剣を渡し、オレは深呼吸をして言った。

間違えるな。ぼくは、デュクレオンだ。

その日、俺達は一回死んだ。
誰かに守ってもらうのを待ち続けたオレ達は死んだ。
そして俺は今日、デュクレオンとして生まれ変わり、お前はカルシオンとして生まれ変わる。
二人で生き残るために──。

 

──懐かしいな…。
じわりと焼けた床石がデュクレオンの意識を呼び戻した。
最初に命を狙われた時の事だ。

忌み子と言われ、嫌われ、大人に冷たくされながらも、それでもまだ期待していたあの頃。
俺の力が目覚めたあの時の事。
二人だけの秘密。
あの日オレはレオンに、シオンはレオンからシオンになった。
子どもの軽はずみな行動だったとは言え、現状を考えると良かったんじゃないかと思っている。
もちろん、もう元に戻る機会はない。
してしまった事に後戻りはできない。しない。
俺が鍵守に選ばれた後、二人で改めて約束をした。

二人で前を向いて歩いていくと。

ごめんシオン。俺……白髪の奴が言ってた通り、口だけで本当に役立たずだ。

周囲を熱が覆っていく。
燃えている。このまま…俺も燃えて…。

「いつまで寝ている!」
男の声と共に光の塊が広間へと落ちてきた。
その風圧で周りの炎が吹き飛ぶ。
それに驚いて、とじていた目を見開き、声のする方を見上げた。

綺麗な黒髪の男、身に付けた白い鎧が光を纏っている。
手に持っているのは、あれは槍…か?
「君がデュクレオンか?」
男はゆっくりとデュクレオンの側に降り立つ。
「お前は…」
「私は、使徒の国ルーメンゲイツから使者として来た。ディードリッヒと言う」
「使…者」
「身分は──まあ、君と同じだと思ってくれて構わん。私も王の子だ」

デュクレオンは疼く体をゆっくりと起こし、立ち上がる。
「使者がどうしてここに…?」
「カルディアが使い魔を寄越したからな。道を逸れて直接こちらに来させてもらったのさ」
「あんたらには関係がないだろ…っ!」
痛みでよろける体を抱きとめられる。
「敵が異形であるならば我々の管轄といっても良い。それに」
こんな所で君に死なれては困るんだよ。
男は槍を構えた。

「何者だ何者だ何者だあああ!!!!」
エイディン辺境伯が叫ぶ。
口からは焼けた肉の匂いと一緒に炎が吹き出し、それはもう人間とは呼べない姿だった。
「誰かは知らんが、貴方はもう人には戻れん。残念だが心せよ」
黒髪の男、ディードリッヒは、再び槍を構え辺境伯に向ける。

「誰であろうと邪魔をするものは許さん!」
巨大な辺境伯の腕が、ディードリッヒに向けて振り下ろされる。
拳がめり込んで、衝撃で砕けた床石を巻き散らかした。
ひらり、とディードリッヒはデュクレオンを抱えてその拳に降り立ち、軽やかにその顔めがけて駆け出した。
左手に握った槍が光を集め始める。

「異形の力に魅入られし邪悪に染まった人の子よ。悔い改めその身を清めよ!」
放たれた槍が強い光を放ち、辺境伯に突き刺さる。
グオオオオオオオオオオオオオオ!
地鳴りの様な叫び声が鳴り響き、辺境伯は振り上げた腕で広間の屋根を突き破った。

空中を舞うように、ディードリッヒはデュクレオンを抱えたまま、広間の外へ舞い降りる。
「もう下ろせよ…」
「ん?遠慮するな。君のような小人一人抱えるなど、私は朝飯前だぞ!」
「小人と言われるほどチビじゃねえ!!!!」
ディードリッヒの腕を振り払って、地面に降り立った。
鎧は砕け、服も半分焼けている状態だが、肉体の傷の方は少し回復してきていた。
さすが化物、だな。

背中の傷はさすがに綺麗に治りそうにない。
デュクレオンは苦笑いする。
「デュクレオン、君、クリスタルクロウの方は…」
「それは…すまない。──あと俺の事はレオンでいい」
「そうか…。それではレオン、君は戦えるか?」
「体は動く」
たぶん、コイツは強い。足を引っ張らない自信は……ない。

「分かった。剣を貸そう」
ディードリッヒは腰から下げていたストラップ状の装飾品を渡す。
「君の力や属性を感じ取って扱いやすい形状になる」
言われた通り、それを握りしめて力を込めてみると、うっすらと輝き始め、剣の姿に形を変えた。
「すごい…」
「これはタンガスの錬金術師によって開発された技術で作ったものなんだ」

ひと振りすると、びゅうと風が巻き起こる。
「風属性か。なるほど」
その剣は人が魔法を使う為の、精霊との契約を助けてくれる。詠唱を省ける分楽だろう。
ディードリッヒはそう言ってデュクレオンの肩を叩いた。
「ディードリッヒ…ありがとう」
「かまわないよ。それと私の事はディードでいい」

ガラガラと建物が音を立てて崩れていく中、
悶えていた辺境伯が瓦礫を弾き飛ばしながら一際大きな声を上げた。
「私の邪魔をするなあああ!!!!」
その体がまた膨らみ始める。その時、上空で紫の稲妻が走り彼の上に落ちた。
辺境伯の動きが止まる。
そしてゆっくりと震え始め、その意思に反するように体だけが増殖を始めた。
メリメリと上部にもう一つ顔のようなものが出来る。
肉が横に大きく裂け、いくつも並んだ牙が現れ、徐々に形成されるパーツの上にぎょろりと眼球が二つ出来上がる。

「来たな」
ディードリッヒが槍を低く構え、現れた顔を凝視した。
何が起きてるか把握できないままで、しかし、異様な光景にデュクレオンも剣を構える。
そしてもう一度、紫の雷が辺境伯の上に落ちる。

『やっと──来れた』
上の頭からズシンと重い声がした。
「異形の神よ!私に力を!もっと、もっと!」
辺境伯の顔が異形の胸の辺りでわめいている。
『うるさい虫だ』
グジュジュ、胸の肉が盛り上がり、彼のの顔を包んでいく。
「約束がっ約束が違う!!民を…贄として与えれば私に力を与えると──
与え続けると言ったではないか!」

民を──贄にだと。
デュクレオンは耳を疑った。剣を握る手が小さく震える。
「くっくっく…」
笑い声がこぼれる。
「エイディンが、独自に住民の一部租税を免除したという噂話を聞いたが、なるほどこのためか!」
デュクレオンは怒りをあらわに声を張り上げた。

「強いものが弱いものを使って何が悪い!」
「典型的な殺られる悪人のセリフだぜ!」
デュクレオンが辺境伯であった異形に向かって駆け出す。
──やるしかない!

辺境伯はもはや身体の制御を失っていた。
自分の頭以外の感覚を全て持って行かれている様子だった。
『人間よ悪いな。こうしてこちらに来られれば、おのれの役目は終わった』
「まっまたれよ!異形の神よ!!」
『大人しく我の糧となれ』
「まっ……ま」
ぐしゅ。
異形の胸元で辺境伯の頭が潰れる音がした。

『さて、久々に狩りの時間だ』