第十錠 《異 形》

The tenth lock “variant”

 

ガラガラと城壁を崩しながら、エイディン辺境伯だったそれは一歩前へ歩み出た。
広間は焼け崩れ、まだチリチリと足元の瓦礫を燃やしている。
辺境伯、いや異形が一歩足を踏み出す度に、足元から炎が吹き上げた。

飛び散る瓦礫の隙間をかい潜って異形に近づこうとするが、その隙間から燃え盛る炎に足を取られた。
大理石の大きな塊がデュクレオンの頭上へ落下してくる。
「レオン!」
カルディアが瓦礫を避けながら、滑空しデュクレオンをすくい上げた。

「何なんだコイツは…」
「さっき紫の稲妻が走っただろう? 境界の隙間から落ちてきたんだ」
「落ちてきたって──随分鈍臭い神子だな」
「こんな醜いものと一緒にしてくれるな!さっきも言ったがこいつはただの化物だ」
瓦礫と炎を避けながら、カルディアが宙を切り、地上へ舞い降りる。
「お前さっきの三下のやつは?」
「片付けた──だが少し遅かったようだ。こいつを呼んでしまったからな」
カルディアはそう言って、異形の攻撃を弾く。

視線の先で、ディードリッヒが異形と魔法戦を繰り広げている。
光と炎が混ざり、ぶつかり合う光景に息を飲んだ。
カルディアに庇われながら、まばたきも忘れて凝視していた。

──俺は、この中で戦えるのか

剣を握り締めた手がブルっと震える。
『小さき生き物、我を倒そうなどと片腹痛い。貴様も大人しく我の糧となれ!』
異形が嘶き吼える。

その口から大きな火の玉を吐き出し、落ちた地表を轟々と燃やしながら前進してくる。
足元には逃げ惑う騎士・兵士達、炎に身を焦がされた人間達の悲痛の叫びが響く。
ディードリッヒはその身と周辺の人々を守るため、防御魔法を展開するも、異形の攻撃力が押していた。
「さすがに一人では無理だな。レオン、一人でいけるか?」
「…ああ」
「とにかく死ぬな」
カルディアがディードリッヒの後方へと周り、風の力で彼の周りの炎を制した。

それはまるで地獄絵図だった。人々の悲鳴が頭の中で反響する。
異形の攻撃は続いている。放出する炎はその力を増しているようだった。
目の前のものに恐怖しているわけじゃない、なのに足が動かない。動いてくれない。
どうしたらいいのか──色々な事が頭の中を駆け巡った。

お前は鍵守になって、一体何と戦うつもりだ?

白髪の男の言葉が不意に蘇った。

なぜクリスタルクロウが必要なのか──

デュクレオンは胸で揺れているクロスを握った。
熱風が吹き荒れ、あらゆるものが翻弄され舞い上がる。

守りたいものを守る。
シオンを、家族を──
自分の力はそれだけの為でいい。その為だけに力を欲した。
何の為に鍵守になるのか、鍵守になって何を守りたいのか。
なぜクリスタルクロウを、その力を求めたのか。

──お前、そのままじゃ守りたいものも守れないぞ?

デュクレオンの中で、焦りや怒り、様々な感情が心の中で渦を巻いていった。
「俺達二人だけじゃない…。二人だけじゃダメなんだ!
それを取り巻く全ても、何もかも全部、全部──」

守れなければ、全て失ってしまう

俺達はたった二人きりだったけど、段々大切なものが増えていった。
大切なものが今の俺達を作り、また俺達は居場所を見つけることができた。
だから、俺達を守ることはもっと、もっと大きな──
デュクレオンの頭上を大きな影が覆い、目の前に一際大きな炎の塊が迫った。

「レオン!!」
カルディアが叫ぶ。
大きな爆発音が響き、地表にぶつかった炎は裂け、瓦礫を巻き上げ突風と共に四散する。
衝撃で吹き飛ばされたデュクレオンは、異形の足元に転がり落ちた。

クロスを握り締めたまま、横たわるデュクレオン。
赤く焼けた空を見上げながら、震える唇を開き叫んだ。
「俺は──オレはこんな所でチンタラしていられないんだよ!!」
『死ね!虫けらァアアアアア!!』
振り上げられた異形の腕がその体に迫る。

その時、デュクレオンの胸のクロスから強烈な光がほとばしり、異形の腕を跳ね除けた。

──力ガ欲シイカ…

この声は…

──力ガ欲シイカ…

「クリスタルクロウ」

その呼び掛けに少し懐かしさも感じながら、デュクレオンは目を開いた。
暖かくもなく、冷たくもない、だけど優しく包み込むその光に、体を委ねて立ち上がる。

──力ガ欲シイカ…

「力が欲しい」

──ナラバ我ヲ求メヨ…

「力が欲しい。俺達を…いや、
俺達をとりまくものを──
俺達を作り上げる全てのものを守る力が欲しい」

──世界ノタメノ…贄トナル覚悟ハアルカ

「かまわない…贄だろうとなんだろうと」

──ヨカロウ 己ヲ差シ出シ 我ガ空ノ器ヲ満タセ…
サスレバ 我ガ力 汝ト共二…

「御託はいい!お前を必要としているのは──この俺だ!」

──ナラバ 我ハ オマエヲ 選ボウ…

デュクレオンは力強く、目を開いた。
目の前にある光の主に向けて、手を差し伸べる。

「力が欲しい!心でも身体でも何でもくれてやる
そのかわり力をよこせ、今よりももっと強く──すべてを守る力を!」

差し出した手が、光に引き込まれていく。
抱きしめられるように、光が体を包み込み、一つになっていく感覚を感じていた。
光の向こうに、誰かの気配を感じる。

母…上……?

光の粒子が舞い、小さな子どもの笑い声が聞こえてくる。
深い意識の中で、眼下に広がった美しい草原を風と共に流れるように走った。
小さな子どもが二人、母親に連れられて揺れる草花と戯れている。
楽しそうな笑い声、それに混じって様々な営みの音が耳元を通り過ぎていく。
ふと、草原の子どもと目があった。
子どもは拳を空に向けて上げて、ニコリと笑う。

デュクレオンはそれに応えるように、拳を伸ばす。
光の粒子がはぜて、眼科の風景も輝き消えていった。

デュクレオンの体を取り込んだ光の塊が花咲くように閃光を放ちながら開いていく。
眩い光が天と地を繋ぎ、光の翼が大きく羽ばたいた。

周囲を埋め尽くしていた炎の海が、かき消されていく。
彼を取り巻く光りが、やがてその形を変えていった。
右手に大きな剣を握り締め、その身は新たな鎧で包まれていた。
「これが──クリスタルクロウの力」

大剣を振り上げかまえると、その剣が羽のように軽いのが分かる。
まるで自分の体の一部みたいだな。
デュクレオンは目の前の異形を睨みつけた。

『何か知らんが、小虫風情が武器を得たところで何も変わらん!』
異形が再び体から炎を吹き上げ、デュクレオンに向かって大きな体を突き出した。
両手で握った剣に体中の力を込める。
足元から風が舞い上がり、体からこぼれた光の粒子が舞い上がっていく。
「悪いが、今は負ける気はしない!」

地面を蹴り舞い上がると、迫り来る異形に向けて剣を一気に振り下ろした。
デュクレオンに向けて迫る異形の両手が、触れる前に光の粒子へと変わっていく。
異形が叫び声を上げ、消えゆく自分の身体を保とうと必死で体を揺らすが、
剣に触れれた端から光の粒子となり、吹き上げる風がそれを宙へと散らしていった。

『グアアアアァアァァァァァ!』
異形がひときわ大きく断末魔の様な雄叫びを上げた。
首だけになり苦悶の表情を刻んだその姿で、デュクレオンに牙を剥く。
デュクレオンは大きく地面を蹴った。
彼がまとった風の渦が、異形の放った炎を巻き込んで目の前で再び燃え上がる。

「これで終わりだ!」

力を込めたその剣の先が異形の眉間を突いた。
異形の断末魔は風にかき消され、粉塵と化した身体は自ら放った炎に焼かれて、チリとなり宙へと舞い上がる。
全てが無くなり、瓦礫で覆われたエイディン城に白い雪のような光のかけらが降りそそぐ。
その光景に、居合わせた全ての人々がただ静かに、呆然と見つめていた。