第八錠 《魔 獣》

The eighth lock “monster”

 

慌ただしく順に飛び立っていく騎士・兵士達を目で追いながら、
鎧に身を包んだデュクレオンはパートナーである黒い騎獣の喉をなでた。

クリスタロスは精霊山(エレメンツロック)の加護を受けている。
山を中心に特殊なフィールドに覆われていて、強力な魔獣は立ち入ることは出来ない。
しかし、それはこの中央、フィールドの範囲内を越えれば別の話だ。
もし、仮に魔獣群が中央まで近づいてきたとしても、水際で食い止められる可能性は十分にある。
けれども、そのフィールド加護のレベルに関してはっきりとした確証は出せていないのが現実だった。

人が対応できる限りのものに関しては、フィールドが有効に働いてない気がする。
うっすらながら、デュクレオンはそう感じていた。

たとえ個体能力が人と同程度だとしても、数と物理の勝負になれば──

どう考えても分が悪いよな。デュクレオンは深く息を吐く。
王宮に続く大階段の上に、父王の姿が見えた。
ほかの騎士兵士達もそれに気づき、王に向かって深く頭を下げ叩頭していく。
「参りましょう」
老騎士が騎獣にまたがり、デュクレオンに声をかけた。
もう一度、父王に視線を向け、軽く頭を下げると、素早く騎獣に跨り飛び乗った。
空へ飛び立っていくその騎獣の後ろに、カルディアがひらりと飛び乗る。
「ちょっ!なんで後ろ乗るんだよ」
「いいではないか」
わざとぎゅっとデュクレオンの背中に抱きつき胸を押し付けた。
「やめろよ」
デュクレオンのイラっとした声に、カルディアは渋々と両手を離し、
体を反りながら騎獣の背中から舞い落ちていく。

バサァ

大きな羽音が聞こえると、カルディアの背中から大きな翼が風を切って広がり、
デュクレオンの騎獣と横並びになった。

不思議な光景だ。

見た目はほぼ人と変わりはない。いや、まるで人形の様に整ったその容姿にはつい目を奪われる。
神子の姿は一つではないと聞いたけれど、これ以外の姿はまだお目にかかったことはない。
今後見ることがあるのだろうか? それも分からないな。

大空を騎獣達が覆って、風を切って飛んでいく。
そろそろエイディンの町が見えてくる辺りだ。デュクレオンは目を凝らした。
視界の隅に、黒い動くものが目に入ります。
それは一つではなくて、地上から湧き出るように徐々に増えていき、
こちらに近づいてきているようだった。
先行している兵士達がざわめき始める。

その目で黒いものが何か判別できる距離まで近づいたと同時に、すぐにそれが魔獣だと分かった。
大声を上げながら、兵士達が斬りかかっていく。
それを軽々と避けながら、魔獣たちは牙を剥き襲いかかり、飛散した血の匂いで次々と魔獣が数を増してきていた。

老騎士が、先に進めとデュクレオンに道をあけた。
目の前に飛び込んで来た人一倍大きな魔獣が、大口を開けて襲いかかってくる。
抜いた剣を魔獣めがけて突き出す。

魔獣の悲鳴が大空に轟く。
その声を皮切りに周辺を飛んでいた魔獣達が一斉にデュクレオンに襲いかかってくる。
さばけない!
そう思った瞬間、竜巻のような風の塊が鋭い刃物のように魔獣達を切り刻んで落としていった。
「油断するな」
カルディアが空中で舞うように回転し風を操り周りの魔獣達に向けて放つ。

「悪い…」
「なんの」
二人は、前方に城の姿を見つけると、飛ぶ速度を落とし城下町に降りる。
人々の悲鳴が聞こえる。デュクレオンは走った。
炎上する建物の間を、空中を占拠しているものとは違う魔獣が闊歩し、
逃げ遅れた人々が恐怖に叫びながら逃げ惑っていた。
駐屯軍の兵士とみられるもの達が、傷を負いながらも人々を逃がそうと戦っている。

「地獄だな」
デュクレオンは、襲いかかる魔獣をなぎ払いなら進む。
カルディアがすぐ上空から魔力で魔獣達を叩いていく。
背中の翼から発せられた風が、軽くいなす様に魔獣達を刻んでいく。
地面には、人か魔獣かどちらのものとも言えない紅い色で染まっていった。

「エイディンの兵に告ぐ!我が名はデュクレオン、エイディン辺境伯は何処(いずこ)に居られるか!」
凛とした声で叫ぶ。戦闘中の兵士がそれに気づき、敵の攻撃を交わしながら声を張り上げた。
「辺境伯はまだ城におられます!城門が大型の魔獣に塞がれ突破できません!いや──」
兵士が言葉を飲んだ。デュクレオンは兵士に襲いかかる魔獣に飛びかかり、頭上からその体を裂いた。
「大丈夫か?!」

よろけた兵士の肩を、しっかりと掴んでその体を支えると、兵士が震えているのがわかった。
「あれは…あれは魔獣という類のものなのか──わかりません」
まるでそれとは別の異質な存在だと。その姿を思い出しながら兵士の瞳孔が開く。
デュクレオンは行け、と兵士を後方に送り出し、城門に向かって走り出す。
その後ろから駆け寄ってきた騎獣がデュクレオンをすくい上げると、魔獣をなぎ倒しながら滑空して進んでいく。
「カルディア!見えるか?!」
上空を飛びながら着いて来ていた彼女が、城門に目をやった。

「これはまた──」
カルディアが嘲笑した。なんだ?と騎獣の手綱を引き、デュクレオンがカルディアに並ぶ。
「お前たちで言うところの“異形”だね。ああなんて醜い」
「神子の仲間か?」
「違うな。ただの三下だよ。世界の境界に干渉されることのないレベルの雑魚だ」

そういうのがあるのか。デュクレオンは視線をその異形に移した。
城門と同じくらいの大きな黒い塊は、とても歪で形容し難い形を成している。
時おり赤く脈打つのが見えるが、あれは血管か何かか──正直気持ちのいいものではない。
門を挟んで兵士達が戦っている。
「行こうカルディア」
「ああ、だが気をつけろ。あいつは呼ぶぞ」
「呼ぶ?魔獣(援軍)をか?」
「こいつらもあやつが操っているのだろうが、ああいうのは大概自分よりも強い者に寄生している」
「まだ何か出てくるっていうのか…」
「境界の外側にいる《親玉》が自らを呼び込む依代を求めて放った、支配能力を持った手下みたいなもんだよ」
「もっと強いのが出てくるって事か? なら早いほうがいいな」

デュクレオンは再び手綱を引いた。騎獣が嘶く。
「カルディア、あいつ任せていいか?」
「構わないがどうするつもりだ?」
「城に突入して、さっさとエイディン辺境伯を引き上げてくる!」
騎獣が空を蹴って走り出す。
「他にもいるかもしれない、気をつけろ!」
デュクレオンは剣を持つ手を高くかざして答える。
「まったく、人使いの荒い相棒殿だな」
言葉とは対照的にカルディアはフフと笑って、その翼に力を込めた。

風を切って地上の兵士や魔獣の間を駆け抜け、城門が目の前に迫ってくる。
デュクレオンに気づいた異形は、騎獣ごと取り込もうとその大きな口を開く。
裂ける様に広がったその口には、ずらりと何列にも鋭い歯が並んでいるのが見える。
ひるまず加速しながら、剣を構える。

「どけえええええええええ!!!」
デュクレオンは叫ぶと同時に異形に向けて剣撃を放った。
攻撃を食らった異形の口が横に裂け、赤黒い血が飛び散る。
その血飛沫をくぐりながら速度を落とすことなく、デュクレオンは騎獣と共に身を門の内側へ滑らせて行く。
異形がデュクレオンに向けて触手のような手を伸ばすも、カルディアが放った魔力の塊に弾き飛ばされ、その手は四散する。
ぐじゅぐじゅと破壊された端から再生を始める異形。
行け、とカルディアが目で合図するのを確認して、デュクレオンは城に向かって騎獣を進めた。

 

城内に入り、魔獣の気配のない場所で騎獣から降りる。
見渡す限りにその影は見当たらない。静かすぎるが──
壁面に身を寄せ、隠れるように進むデュクレオン。
城の中央に続いている大きな入口から、血を流した兵士がヨロヨロと倒れ込むように出て来るのを見つけた。

「おい!」
駆け寄り、うつ伏せに倒れた兵士の傷口に当たる甲冑を剥ぎ捨てて、その頬を軽く弾く。
「しっかりしろ、助けに来たぞ。エイディン伯はどうした?」
兵士は憔悴しながらうっすらと目を開けて、震える指で建物の中を指差した。
「……様が……あぶな…取り込ま……」
絞り出すように、掠れる声で訴えかけてくる。
「わかった、もういい黙ってろ。俺が必ず助け出してくる」
デュクレオンは騎獣を呼んで、その場で待たせると、一人城の中へと入って行く。

大広間に続く廊下は整然と静まり返っていた。
驚く程被害が少ない。
無ければ無いで安心するところのはずなのに、そんな嫌な気持ちがふと過る。
知性の高い魔獣──いや、異形であるなら、辺境伯を人質にと考えてもおかしくはないが。

──なんで死体一つ転がってないんだ

足音をできるだけ殺して、広間へと近づいていく。
人の気配がする。そっと影から中を覗き込んだ。

騎士や兵士達が傅いて取り囲む中、一人立っている初老の男が一人。
会ったことはないが、身なりからしてあれがエイディン伯か…
デュクレオンは広間の中をぐるりと見渡し、敵がいないことを確認すると中へ歩み出た。
「貴公がエイディン辺境伯か?」

男がゆっくりとデュクレオンの方に向く。
青白い顔に、年で凹(くぼ)んだ目が鈍く光っていた。
「……何者だ」
より近づいてみると、周りで傅いていると思った者達は、
息はしているものの何かの力に押しつぶされる様に、グッタリと連なりながら横たわっているのだった。
かすれたうめき声が聞こえる。
「貴公に会うのは初めてか。我が名はデュクレオン、クリスタロス王が子である」
辺境伯はその名を聞くと、ゆっくりと目を見開いた。

「これは…デュクレオン殿下、初めてお目にかかりますれば──」
いや、まだ赤ん坊の頃に一度お目にかかっておりますなぁ。
辺境伯は、舐めるようにデュクレオンの頭の先から足の先まで視線を動かし、
ニヤニヤと笑いながら目を細める。

「これはどういう事だ?」
ひやりと背筋に冷たさを感じて、デュクレオンは再び剣を構えた。
「これはと申されますと、この町の状況のことか、あるいはこの場の…この私めのことでしょうか」
「どちらも、といえばいいか? 一体何が起こっている?!」
じりじりと周囲を回るように間合いを詰めていく。
ゴロリと転がった兵士の体が足先に触れ、震えているのを感じながら、まだ生きている事に少しほっとする。
全員死んでいるわけではなさそうだ。
デュクレオンはゆっくりと辺境伯の真正面についた。

「懐かしい話をしましょうか。殿下は記憶にないかもしれませんが。
あの頃は──そう、大騒ぎでしたな。
皆が期待し待ち望んだ男子が生まれて、皆とても喜んだ、
しかし、それはすぐに困惑に変わりました。よりにもよって双児だと。
国を乱す双児が生まれたとね。
期待が一瞬にして失望に変わる瞬間…どんなものかわかりますか?」

辺境伯は両手を宙に向けてかざす。
「あれはとても胸が弾みます。混乱の予感がしてね」

「俺もシオンも国を滅ぼしたいはしない。伝承なんてただの言い伝えに過ぎない」
「そうですね。いやはや、結果的には本来、王位継承権のある長子のあなたは鍵守に選ばれ、
国を追い出されることになりました。貴方がいなくなるのも秒読みです。
兄弟同士の争いなど起こるはずもない。
残るはカルシオン様だけ。彼のみが王位継承権を擁する事になったのですが…」
それじゃあ困るんですよ。辺境伯が怒鳴り声を上げる。

「期待が失望に変わった時、変わった場所、そこには隙間が生まれる。
その隙間は、我々にとって絶好のチャンス、次の時代の幕開けを望む我々の希望の苗床
そして我々が──新しい世界の幕開けの種となる」
その異様さに、デュクレオンは剣をしっかりと持ち直し、中段で構えた。
「狙いは…王座か」

「劣化した王族などもういらぬ。化物もいらぬ」
辺境伯は黒く凹んだ目を歪ませ、醜く笑う。
じり…とゆっくりと
「魔獣や異形に町を…人々を襲わせているのは──貴様の仕業なんだな」
「力を貸してくれると言うのでね、お願いしましたよ
ご覧なさい!力など望めば与えるものがいる、求めれば得ることができるのだ!」

ぽこり。

辺境伯の体の肩の当たりが風船のように膨らんだ。
その背から、先の尖った昆虫の足のようなものがいくつも飛び出し、
周りの兵士達の体を突き刺して、その体を宙へとぶら下げていった。
突き刺された者達の痛みに呻く声が広間に響き、反響して広がる。
それはどくどくと膨らみながら、突き刺した者達の体を取り込み、同化しその形を変えていく。

かろうじて人型と言っていいのか──。

もうすでに元の体から何倍にも膨れ上がっても、まだその肉は脈動し、じわじわと形を変えながら大きくなっている。
一瞬の隙も与えないよう、間合いを詰めるように動いていく。
広間の空気が熱い。緊張によるものとは違う、じっとりとした汗が頬を伝って落ちた。
だんだんと室温が上昇しているみたいだ。
逆手に持っていた剣を持ち直し、鋭い刃を辺境伯に向けた。

じわじわと熱が広間を支配していく。
辺境伯の体の体積が増し、その肉の隙間から水蒸気が吹き出す。
唯一原型を止めている顔が、胸の辺りから飛び出している。

「そういえば、あのワインの味はいかがだったかね?」
言葉と共に熱が吹き掛かる。
「口に含むだけで死に至るという猛毒を用意させてもらったんだがな」
化物のあなたには意味がなかったようだ。低い声でうなった。
「あの貴族も、繋がっていたオルブリヒも中央で拘束してある。貴様との繋がりもすぐに明白になるだろう」
「くくく!オルブリヒか!!!」
辺境伯が愉快愉快と甲高い笑い声を上げた。
「あれはただの運び人よ。都合よく使っただけの事、我等の計画など知る由もないわ」

──我等?
言葉尻に違和感を覚えた。

「しかし、あなた方の命を狙ったのは一度や二度じゃない。そう、最初の…あの時、死んでいれば楽だったろうに」
辺境伯の凹んだ目が細長く横に歪み、落ち込んだ両目がさらに嗄(しわが)れて気持ちが悪い。
「ほんとに──」
しゅーっと体から蒸気が溢れ出す。一気に熱も放出され、チリチリと周辺のものに火が付き燃え始めた。
「さっさと死ねばよかったのに」
「熱っ!」
じわりと熱せられた空気に肌が焼ける音がする。
このままじゃ、戦う前に焼けた自分鎧で大やけどだな…外に出ないと──
一瞬、辺境伯から目を離したその瞬間、熱の肉塊がデュクレオンの体を弾いた。
勢いで突起した柱に打ち付けられる。

「……………っ!」
打ち付けられた背中から、激しい熱と痛みが全身に駆け巡った。
自分の身につけていた鎧が弾かれた衝動と高熱によって飛び散って、その欠片が目に飛び込む。
──クリスタロスの…紋章…
転がり落ちた目の前で、破片に刻まれたクリスタロスの紋章が赤く燃えてる。
背中が熱い。

「焼けた紋章が焼印のようにその背を焼いたか。しかも逆さ十字(アンダークロス)」
逆さ十字──王家を穢した王族が身に付ける罪の烙印。王族でありながら“価値が無い”証。
「冥土の土産に提げていけ」
ゴオオッという音と共に、辺境伯の体を炎が包んだ。
「エイディ…ン…」
デュクレオンの意識がだんだんと遠のいて行く。

熱さも痛みも感じない…ここは……………真っ暗だ。