第六錠 《神 子》

The sixth lock “child of God”

 

部屋の惨状を前に、どう片付けようか途方にくれるナターシャに半ば無理やり追い出され、三人は散乱した部屋を出て別室へ移動する。
あの後、少し“向こう側”取り残されたようなそんな気分を感じながら、デュクレオンはすぐに意識を取り戻した。
慣れる事はないけれど、ああいう状態になるのは身に覚えがある。
また、暴走したんだな。
デュクレオンはげんなりと頭をかいた。

正直今日はこの女に助けられた。
さっき見たあの光景は、カルシオンの中から流れ込んできたものだ。
彼の“見たもの”が伝染する。
いつもと言うわけではなくて、普段はそれなりに流すこともできるのだが、ああなると厄介なのだ。
こういうのを双子の感応能力というのか、たまにこういう事になる。
はっきりとしない映像の断片を思い出しながら、自分の顔を覗き込む女の視線に気づいた。

 

「なんだよ」
「つれない反応だな。私はあれから何度も、何度も何度も(繰り返し)
 何度も文を出したというのに、ろくに返事もくれぬし!つれなさすぎて涙が出るわ!」
女は、デュクレオンに腕を伸ばし、勢い良く抱きしめる。
身じろいでその豊かな胸の弾力を後頭部に感じながら、デュクレオンは回された腕を振りはらおうともがいた。
「あの、神子様…」
カルシオンが二人の様子に遠慮がちに声をかける。
「お前がカルシオンだな。カルディアでいいぞ」
神子、カルディアと名乗る女はデュクレオンを離すと、今度はカルシオンに飛びついた。

「ほんに見事よのう。同じ顔が二つ。人の双子というものがこれほどとは思わなかったぞ」
カルディアはカルシオンを強く抱きしめ、羽交い絞めにする。
「んふぁっ…ふぁるりあふぁま」
大きな胸の肉に押しつぶされながら苦しい声を上げているカルシオン。
「小さいのう! かわいいのう! 二人揃ってお持ち帰りしたいのう!」
「小さいって言うな!」
「小さいって言わないで!」
兄弟が口を揃えて声を張った。
カルディアはどうしてだ? ときょとんとした顔をする。
 

「我が主と共に三人で並んだらさぞかし可愛かろうなぁ」
カルディアは顔を綻ばせながら、デュクレオンの頭を撫でた。
その手を振り払うように身をよじった。
「こうな、我が主もお前達位の背丈でな、それはもう可愛らしいんだ」
自分の頭より低いところで、このくらいと手を動かしながら、カルディアは嬉しそうに言う。
「俺たち成長期だし! まだ伸びるし!! お前がデカ過ぎるんだよ」
この大女。デュクレオンがつぶやく。

「おっといけない。カルシオン、シオンでいいか?
 きちんと自己紹介をしなくてはな。私はカルディア、レオンの相棒になる鍵守の神子だ」
カルディアは、神子でもうひとりの鍵守。デュクレオンと共に鍵を守る存在だ。
この豊艶な人の姿はひとつの形態であり、本当の姿は違うらしい。
境界の外の世界の住人、神の最初の子と言われる者たちの末である。
「それにしても、相棒殿はいつになったらこちらの国に赴いてくれるのか」
 

片付けがひと段落したのか、ナターシャがこちらの部屋にお茶を運んで来た。
カルディアを気にしているような素振りを見せながら、すぐに部屋から出ていく。
扉がカチャリと閉まるのを待って、デュクレオンが口火を切った。
「それはそうと、何しに来たんだよ?」
机に並べられたお茶やお菓子を楽しそうに眺め、手を伸ばし砂糖菓子を口に放り込んだ。
「レオン、お前を迎えに来たんだよ」
カルシオンが口元に運びかけていたティーカップを止める。

「はっきり言えばお前の出国の催促だ。私は先発だがまもなく正式な使者が到着する。
 王君にはこちらに来てすぐ挨拶と共にお話申し上げた。使者が到着し次第具体的な話になるだろう」
覚悟は…できていないだろうな。その様子だと。カルディアは苦笑する。
国を出ることは決まっていることだし、いつかは…ということは覚悟をしていた。
いや、覚悟できていたかと聞かれたら、覚悟という程のものは出来てないんだろう。
真っ先に心に不安が過ぎった。

「お前も知っての通り、人側の鍵守の不在はもう随分と長い。
 こちらの偉い方々は早いところ体制を万全に整えたいのだよ」
そう、知っている。
デュクレオンがクリスタルクロウを継承するまで、この国は役目を果たしていない。
何代も女系が続き、そしてそこから鍵守が出ることはなかった。
クリスタルクロウが誰も選ばなかったのだ。

「あれから少しは成長しているようだが。さっきの様子を見るにまだまだのようだな」
内在している能力は、以前よりも増している。それは自覚があった。
だけどそれは自分だけじゃない。
デュクレオンはカルシオンを見た。
その視線に気づいたカルディアが手を伸ばし、何かを確かめるように彼の顔に優しく触れる。
「なるほど」
これは丁度良かったのかもしれないな。カルディアがカルシオンの額に軽く口づけをする。
カルシオンは吃驚して、顔を真っ赤にして額に手を当て後ずさった。
「レオン、あれからクリスタルクロウとはどうだ?」
そう問われて胸のクロスに手を当てる。

「何も…」
「何も、か?」
デュクレオンはゆっくり首を縦に振る。
「まあよい。いらぬ節介かとも思ったが、そうならない様で良かった」
お前達に紹介したい者がいる。そう言ってカルディアが座っていたソファーから腰を上げた。
「もしや、鍵の君ですか?」
カルシオンが覗き込むように見上げる。
「いや、残念だが我が主…鍵の君は国から出ることは叶わないのだよ。シオン」
温かみのある、だけど少し寂しそうに微笑む。
「だが─」
きっとお前の為にもなる者だよ。

カルディアは、デュクレオンを部屋の外へと手招いた。
「…なんだよ」
「確かめておきたい事がある」
そう言って胸ぐらをつかみ、壁に軽く押し付ける。
「クリスタルクロウは──間違いなくお前を選んだのだな?」
美しい瞳がぎらりと光る。

デュクレオンは自分の襟を掴んでいる手を引き離すように手で触れた。
強く眉を寄せ、デュクレオンはカルディアを睨みつける。
「間違いはない。あれは俺を選んだ」
カルディアと初めて会ったあの日、継承の儀で確かにクリスタルクロウはデュクレオンの手の中に落ちた。
神殿奥で行われた継承の義、父王とカルディア、神官たちに見守られながらそれを手にし、鍵守となったのだ。

「いいか、継承の儀でクリスタルクロウはお前を持ち手として選んだ。だがそれはまだ序の口に過ぎぬ」
先ほどの優しい顔とは売って変わり、彼女の顔は険しい。
「これは最終的にお前とひとつとなる存在だ。お前が一部となり、またこれがお前の一部となる」
カルディアの指は胸のクロスを直接触ることなく、服の上からその周りをなぞる様に動く。

「シオンは…どうなんだ?」
息がかかる近さで彼女が静かに言った。
「シオンのあれは何だ? 何時からだ?」
デュクレオンの額にじわりと汗がにじむ。

カルシオンの“見え過ぎる”力は二人だけの秘密だった。そう秘密。
特殊な能力(体質というか)の槍玉に挙がるのはいつもデュクレオンだった。
本人自らそれでいいと、それがいいと思っている。
「いや、言い方がおかしいな。能力が付加していることが問題じゃない」
カルシオンはクリスタルクロウに──選ばれていないのか?

カルディアは頭をふった。
「選ばれて…と言うとおかしいか。クリスタルクロウが受け入れたかどうかと問うた方がいいか?」
デュクレオンは、目を合わせないまま、小さくうなづいた。
「だけど、この声に応えたのも、この力を求めたのも俺だ。俺なんだ」
あいつは関係ない。
「だが今、本来一人だけのはずのクリスタルクロウを持てる人間が…二人いるのは事実、か」

「──カルディア」
俯いたままデュクレオンが細くつぶやいた。
「クリスタルクロウは俺がなからず継承する。ひとつにもなる。
 そのために俺は非情にも何にでもなるよ」
なんでも耐えてやる。たった一人の片割れを守るためなら何でもしてやる。

それを聞いて、カルディアは深く息を吐き出す。
「私はどちらがどうとか、そういうことを問題にするつもりはないよ。
 お前が鍵守であろうとするならば、そこに問題はない。そうなれば良い。
 それに、シオンが鍵守になるのは…その体の弱さを考えればおそらく耐えられまい。
 ならば、万に一つもあれにシオンを選ばせてはならないよ。だからこそ──
 お前は自分の力を制御し、もっと強くならなくてはならない」

わかっている…。デュクレオンはドンッと、その背中にある壁を後ろ手で叩く。
カルディアに対してではなく、自分に対して腹ただしい。
デュクレオンはカルシオンがあの力で苦しんでるのを知っているから。
表には出さないけれど、笑って耐えているのは見ていたらわかるし、感じていた。
どうにかしてやりたいと思っても自分の力さえも持て余している始末だ。

だけど、せめてもう少しの間…側にいて守りたい──

「…分かってるんだ。分かってるけど…もう少しだけ、もう少しだけ待ってくれ。
 今、鍵守りとしてこの国を出ると言えば、俺は王家の系統から抹消される。
 シオンを…あいつを守るための地位と力を失うわけには行かないんだ。」
「レオン──それは…」
カルディアが言いかけたその時、だれかの気配を感じて振り向く。

「それを押し通したければ、それなりになるべきだろう。小猿」
視線の先、木漏れ日にその髪がキラキラと光る。
「今のお前じゃただのクソガキの我侭だろうが」
白髪の──青年だろうか。
長身で、長い前髪がかかったその顔の右目には眼帯がある。
デュクレオンは目を丸くした。